計画的偶発性人生への道標

大学・大学院で【ゲーム理論】を学び、【キリマンジャロ登頂(5895m)】や【24時間山岳耐久レース(ハセツネ)】では悟るも直ぐに煩悩に悩まされ、【戦略コンサル(ひよっこ)】では容量悪く苦戦するも周りの超優秀なメンバーに恵まれ、【起業】においては各界のプロフェッショナル達におんぶにだっこで何とか生き延びている、そんなちょっぴり人と違う人生を歩みつつある筆者が、日々考えたことを自分なりの視点でまとめていきます

貢献心は本能理論

"貢献心は本能である"。これは、自分が出会った言葉の中で、一番といっていいほど感銘を受けた言葉である。

私自身、この言葉に出会う前は、何か人に"してあげる"ことについては何となく、後ろめたさというか、ある種の精神性・理由づけ・言い訳を求めたりするようなところがあった。

もともと自分はボランティアが好きで、ap bank fesの4泊5日のボランティアにも2度参加した。しかしながら、自分が当たり前と思ってやっていることは他人から見ると奇妙なこともあるようで、ボランティアに対して友人から言われた2つの言葉が自分の中で強烈な印象として残っている。

ケース1.大学院時代の友人のことば

私「ap bank fesのボランティアはさ、休憩時間にミスチルとかのライブ見れてとっても良いんだよ!」
友人「え、ライブなら普通にお金払って観たほうがいいじゃん
私「え?」
友人「え?」

ケース2.コンサル時代の同期の言葉

私「ボランティアは活動自体、人のためになるし、何より楽しいのよ」
同期「てか、ボランティアってバリュー(価値)ないよね。だってもしバリュー出してたら対価が発生するはずじゃん。ちゃんと自分の時間価値考えたほうがいいんじゃないの?」
私「えっ・・・」

これは極端な例かもしれないが、人のために良かれと思ってやっていたことでも、「これって自分に酔いしれているだけなのかな・・」「善意の押し付けなのかな・・」みたいに思うことも、八方美人の私はよくあった。そんな悩みを強烈な一言で一気にかき消してくれたのが、ぐるなび創業者であり実業家の滝さんの下記本である。 *1

貢献する気持ち―ホモ・コントリビューエンス

貢献する気持ち―ホモ・コントリビューエンス

 

 

本書の中では、食欲・性欲・睡眠欲という"体質的本能"と同じように、貢献心を"心質的本能"と整理している。本能と整理することで、貢献したい気持ちに対する従来的な理由づけすること事態ががわざとらしく思えるようになる。他者に尽くそうという自分の欲求を自然に受け止め「他人のため」ではなく「自分のため」と割り切ることで新たな境地が切り開ける。

 

貢献心は本能であるため、それは三大欲求同様に人によって強弱がある。自分はかなり強いほうだと思うが、あまり強くない人も当然いるであろう。なので、相手に強要するものでもないし、自分が誇ったり恥ずかしがったりするものでもない。そこを理解するだけで非常に世界がクリアに見えるようになる。

 

また、私は、"相手の貢献心を満たす"ことの重要性を感じている。それは家族であったり同僚であったりビジネスパートナーであったり恋人であったり、誰に対しても適用できる。皆、自分の本能的な欲求を満たしたいはずである。周りの人を頼ってみると意外と貢献心を発揮してくれてお互いにとってもプラスになるということが多々あって本当に驚いている。(ので、親のすねをかじるのも悪くないのかも。笑)

 

ということで、引き続き、自分の貢献心の欲求を受け入れ、あまりウザくならない程度に皆様方、そして社会のために少しでも役に立てることをしていきたいと思う次第です。

 

ではでは

*1:一瞬余談になるが、滝さんとは、まさにこの本の3周目を読んでいるときにお仕事の連絡が来て、光栄なことに個人としても関わらせていただいており、言霊というのは本当にあるのだなと実感した次第である